今日は工芸の仕事に行く。
作品展が済み、出品作品の整理。
上司が額装された額をみていた。中に工芸品を額装してある。
小さくて少し変わった額である。私もこの額の販売先を聞き、これを活かし、中に額装する絵を描こうと決め、イメージを考えていた。
上司いわくこの作品は、額のデザインに頼り、中身の作品はまにあわせのものを入れている、とのこと。この額の意匠を生かし、作品もそれにつりあうようなものだと、印象に残る佳いものになるとのこと。(確かに、可もなく不可もなく、というか、無計画な感じはする。)
だからその言葉、とても後から心に残った。 釣り合い、活かす、…。佳いものをつくるのは至難です。
2010年3月28日日曜日
偲び草
今朝、海外にいる友達から電話がありました。
東京滞在時の電話からの発信なので、「先月も帰国したのに、なんで東京発信の電話?」と電話をとったら、今東京にいるとの電話。
彼女のおばあさんが突然亡くなり、今東京にいるとの電話。おばあさんはたしか96歳くらい。
先月愛用のローライで撮影の個展があったばかりです。
本当に素敵なおばあさんでした。高校生の時、初めてお会いして、何度会ってもまったく年を取らない。最後にお会いした3年前に、民藝づくしのお宅でおいしい手料理をふるまってもらって素敵な時間を過ごした。最後にコーヒーを淹れ、バーボンを垂らして下さったのが「粋だなあ」とさらに感激。
おしゃれで料理が上手く、いい写真を撮る、素敵な感性の人でした。
いなくなるはずの、ずっといるはずの人がいなくなるのは、本当に寂しい事です。
「先月は、とても元気だったのに」と泣く彼女。
私は、あの素敵なおばあさんと会って、年をとることがちっとも怖くなくなったので、せめてこの様に偲びたいと思いました。
東京滞在時の電話からの発信なので、「先月も帰国したのに、なんで東京発信の電話?」と電話をとったら、今東京にいるとの電話。
彼女のおばあさんが突然亡くなり、今東京にいるとの電話。おばあさんはたしか96歳くらい。
先月愛用のローライで撮影の個展があったばかりです。
本当に素敵なおばあさんでした。高校生の時、初めてお会いして、何度会ってもまったく年を取らない。最後にお会いした3年前に、民藝づくしのお宅でおいしい手料理をふるまってもらって素敵な時間を過ごした。最後にコーヒーを淹れ、バーボンを垂らして下さったのが「粋だなあ」とさらに感激。
おしゃれで料理が上手く、いい写真を撮る、素敵な感性の人でした。
いなくなるはずの、ずっといるはずの人がいなくなるのは、本当に寂しい事です。
「先月は、とても元気だったのに」と泣く彼女。
私は、あの素敵なおばあさんと会って、年をとることがちっとも怖くなくなったので、せめてこの様に偲びたいと思いました。
2010年3月7日日曜日
メレンコリア
何気ない先方の言葉に傷つく。
お互いの価値観の違いとはわかっているけれど。日を置いてじわっとショックが押し寄せてくる。
違った価値観を受け入れ、話を聴いてくれる人に感謝。
私も人の話しをきちんと聴ける人になりたい。
ところでデューラーの「メレンコリア」 という作品が面白く、飽かず眺める。当時の哲学、科学、宗教観を図象化しているらしい。でもどっちかというと、デューラーの頭の中の面白いものをひっくりかえして描き立てたような作品です。
デューラーは、聖人の体から放射線状の光が出るのを発明したそうな。光とか風とかを図蔵化して、かなり漫画的な人のよう。「メレンコリア」という割には結構おかしみのある作品。
お互いの価値観の違いとはわかっているけれど。日を置いてじわっとショックが押し寄せてくる。
違った価値観を受け入れ、話を聴いてくれる人に感謝。
私も人の話しをきちんと聴ける人になりたい。
ところでデューラーの「メレンコリア」 という作品が面白く、飽かず眺める。当時の哲学、科学、宗教観を図象化しているらしい。でもどっちかというと、デューラーの頭の中の面白いものをひっくりかえして描き立てたような作品です。
デューラーは、聖人の体から放射線状の光が出るのを発明したそうな。光とか風とかを図蔵化して、かなり漫画的な人のよう。「メレンコリア」という割には結構おかしみのある作品。
2010年2月27日土曜日
2010年2月22日月曜日
心に残ったこと
若松孝二の映画「実録・連合赤軍・あさま山荘への道程」をおととし観に行った。最近妙に気になり、まだDVDを観た。
なかでも永田洋子(ひろこ)の存在が気になる。なんだかんだと『光の雨』という連合赤軍の映画を読んだり、永田洋子と瀬戸内寂静の書簡集を学生の頃読んだりしていた。
はじめて永田洋子の存在を知ったのは、小2の時に新聞で彼女に死刑判決がでた紙面を見た時。私と同じ「ヨウコ」という名前の女性が死刑、強烈だった(最近になって、彼女の名は「洋子」と書いて「ひろこ」と書くと知った。)。
不思議に思って母に「この洋子さんて人は何で死刑なの」と訊くと、
「こんな悪い人に、さんづけするんじゃありません!!」と叱られた。ものすごく悪い人なんだというイメージが残った。
学生の頃、瀬戸内寂静との書簡集をなぜか読んだ。なぜか一所懸命面白く読んだ。『光の雨』や『あさま山荘への道程』では、融通の利かない鬼女の如き彼女が描かれ、書簡集の穏やかな彼女との違和感が残った。
それで『続十六の墓標』という、刑に服役中に書かれた彼女の著作を読む。
思想に関する記述が長く、ここは私にはよくわからない。
だけど、服役中も勉強する真剣な姿勢、あまりにもまっすぐな人過ぎてあんな事が起きたのかと思った。永田さん自身も、仲間を死に至らしめた当時の融通の無さや偏狭さを冷静に観察していて、そこがすごいなと思った。
純粋というのは、逆に透明すぎて息苦しい。
この本を読んで、今まで彼女に抱いていたイメージががらっと変わった。人は時間が経てば変わっていく、いつまでも同じ人間のままではない。とてもいろいろな意味ですごい人である。本当に人間はいろいろな人生を過ごすのだ。
あまり彼女の事が気になって、ネットで検索したら、鬼女のような存在として扱われていた。別に永田さんの肩を持つわけではないけれど、もう少し多面的に捉えてほしいと思う。あんな風に彼女の事を書かないで欲しいなと思った。
私自身も、長年抱いていたイメージが変わった。同時に、ものごとや人を簡単に決め付けたり思い込んだりしないほうがいいのだと思った。現在は病気の進行が進んで(もうちゃんと話ができないくらい)いるらしいけど、とても気になってしかたない人である。
なかでも永田洋子(ひろこ)の存在が気になる。なんだかんだと『光の雨』という連合赤軍の映画を読んだり、永田洋子と瀬戸内寂静の書簡集を学生の頃読んだりしていた。
はじめて永田洋子の存在を知ったのは、小2の時に新聞で彼女に死刑判決がでた紙面を見た時。私と同じ「ヨウコ」という名前の女性が死刑、強烈だった(最近になって、彼女の名は「洋子」と書いて「ひろこ」と書くと知った。)。
不思議に思って母に「この洋子さんて人は何で死刑なの」と訊くと、
「こんな悪い人に、さんづけするんじゃありません!!」と叱られた。ものすごく悪い人なんだというイメージが残った。
学生の頃、瀬戸内寂静との書簡集をなぜか読んだ。なぜか一所懸命面白く読んだ。『光の雨』や『あさま山荘への道程』では、融通の利かない鬼女の如き彼女が描かれ、書簡集の穏やかな彼女との違和感が残った。
それで『続十六の墓標』という、刑に服役中に書かれた彼女の著作を読む。
思想に関する記述が長く、ここは私にはよくわからない。
だけど、服役中も勉強する真剣な姿勢、あまりにもまっすぐな人過ぎてあんな事が起きたのかと思った。永田さん自身も、仲間を死に至らしめた当時の融通の無さや偏狭さを冷静に観察していて、そこがすごいなと思った。
純粋というのは、逆に透明すぎて息苦しい。
この本を読んで、今まで彼女に抱いていたイメージががらっと変わった。人は時間が経てば変わっていく、いつまでも同じ人間のままではない。とてもいろいろな意味ですごい人である。本当に人間はいろいろな人生を過ごすのだ。
あまり彼女の事が気になって、ネットで検索したら、鬼女のような存在として扱われていた。別に永田さんの肩を持つわけではないけれど、もう少し多面的に捉えてほしいと思う。あんな風に彼女の事を書かないで欲しいなと思った。
私自身も、長年抱いていたイメージが変わった。同時に、ものごとや人を簡単に決め付けたり思い込んだりしないほうがいいのだと思った。現在は病気の進行が進んで(もうちゃんと話ができないくらい)いるらしいけど、とても気になってしかたない人である。
2010年2月13日土曜日
医学と芸術展
医学と芸術展を森美術館に観に行ってきました。
森美術館は22時迄営業していたり、面白い展示をしたり、無国籍であったりの長所と、ちと理解しかねる点と両方あるのですが、結局よく行く美術館の一つです。要はうまいことやっている美術館なんだと思う。
医学なので、人間の死生観に関するものあり、人体のつくりに関するものあり。大好きなテーマなのでいろいろ眺める。
先日オヤジ雑誌で見た松井冬子さん(すごい美女)の絵もありました。なんと私と同い年!華やかな存在ですね。
私が気になったのは、大きな水墨画のような作品。実は、グレーの紙やすりを貼ったボードに頭蓋骨一個を全てすりつぶされるまでこすったもの。
はじめは、白っぽい色を塗り重ねた、なんだか存在感のある作品だなと思ってましたが、人骨 が材料、やはりどきっとします。
人は死ねば、体は灰になるという事を感じます。こういう作品にはうんと弱い私。
メメントモリ、死をおもえ。
昔は死ばっかり思っていましたが、最近は死と生と両立して思うようになりました。生についてうんと思っている中で、死も同等に感じる事がいいのかな。
歳を重ねると人間は、ずぶとくたくましくなります。いろいろ感じさせてくれたいい展示でした。
森美術館は22時迄営業していたり、面白い展示をしたり、無国籍であったりの長所と、ちと理解しかねる点と両方あるのですが、結局よく行く美術館の一つです。要はうまいことやっている美術館なんだと思う。
医学なので、人間の死生観に関するものあり、人体のつくりに関するものあり。大好きなテーマなのでいろいろ眺める。
先日オヤジ雑誌で見た松井冬子さん(すごい美女)の絵もありました。なんと私と同い年!華やかな存在ですね。
私が気になったのは、大きな水墨画のような作品。実は、グレーの紙やすりを貼ったボードに頭蓋骨一個を全てすりつぶされるまでこすったもの。
はじめは、白っぽい色を塗り重ねた、なんだか存在感のある作品だなと思ってましたが、人骨 が材料、やはりどきっとします。
人は死ねば、体は灰になるという事を感じます。こういう作品にはうんと弱い私。
メメントモリ、死をおもえ。
昔は死ばっかり思っていましたが、最近は死と生と両立して思うようになりました。生についてうんと思っている中で、死も同等に感じる事がいいのかな。
歳を重ねると人間は、ずぶとくたくましくなります。いろいろ感じさせてくれたいい展示でした。
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