2011年4月15日金曜日

中目黒の思い出




ここのひと月で、3回も中目黒の昔住んでいたあたりに行った。
目黒川沿いに東京共済病院があって、その向かい側あたりに住んでいた。
すぐ側の田楽橋のたもとに田楽苑というラーメン屋があって、映画『タンポポ』の
撮影をしていたりした。

久しぶりなのに、やたらにここを通った。
1回目は3.11の時。大崎から中野まで徒歩帰宅した時。大崎から目黒川を辿って帰った時通った。
その後お花見に行ったり、目黒川舟入場でパンタさん達のチャリティーライブにでかけた。
頻繁すぎてちょっとびっくりしている。

目黒川はきれいになった。


 当時は社宅に住んでいたが、今は十年前から無人になっている。
最近は蔦の様なものが敷地を覆って、陋屋化が住む。
もともとおそろしく古い団地で、日当たりが悪かった。
何となく暗いのである。


私の母親は、手術後に退院して直後にここで火事で亡くなってしまった。
しばらく母親には会ってなかったし、葬儀でも遺体を見せてもらえなかった。
しばらくはまだ母親が生きている様な気がしてならなかった。

亡くなる前日に、私は電話で無神経な事を母に言ってしまった。
追い討ちをかける様な言葉だったと思う。
死ぬ直前に何も気分を悪くさせる事はないと思う。
母の死んだ年を過ぎて、よけいに実感する。

27年前の事だけど、数年前から母の死を少し消化できるようになった。

そういう思い出もあるけど、やたらに高台や坂があったり、
恵比寿や目黒、代官山にもすぐでかけられるいい場所でだった。
母が生きていたら、ずっと中目黒に住んでいたのだろうか。

もうすっかり私は中野の住民になってしまった。




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