久々にゆっくり休日
区民検診に行き、中野区中のベビーと両親が勢ぞろいしたような待合室に驚く。
待ち時間に「東京ラブストーリー」と池田理代子の「シジフォスは憩う」をもくもくと読破。
帰宅してパスタ食べたら、胃にパンチなダメージ受け、腹暖めて、安静にマンガ読んでごろごろする。濃密情愛マンガで、ちょっとカルチャーショック・・・(笑)
2010年2月22日月曜日
心に残ったこと
若松孝二の映画「実録・連合赤軍・あさま山荘への道程」をおととし観に行った。最近妙に気になり、まだDVDを観た。
なかでも永田洋子(ひろこ)の存在が気になる。なんだかんだと『光の雨』という連合赤軍の映画を読んだり、永田洋子と瀬戸内寂静の書簡集を学生の頃読んだりしていた。
はじめて永田洋子の存在を知ったのは、小2の時に新聞で彼女に死刑判決がでた紙面を見た時。私と同じ「ヨウコ」という名前の女性が死刑、強烈だった(最近になって、彼女の名は「洋子」と書いて「ひろこ」と書くと知った。)。
不思議に思って母に「この洋子さんて人は何で死刑なの」と訊くと、
「こんな悪い人に、さんづけするんじゃありません!!」と叱られた。ものすごく悪い人なんだというイメージが残った。
学生の頃、瀬戸内寂静との書簡集をなぜか読んだ。なぜか一所懸命面白く読んだ。『光の雨』や『あさま山荘への道程』では、融通の利かない鬼女の如き彼女が描かれ、書簡集の穏やかな彼女との違和感が残った。
それで『続十六の墓標』という、刑に服役中に書かれた彼女の著作を読む。
思想に関する記述が長く、ここは私にはよくわからない。
だけど、服役中も勉強する真剣な姿勢、あまりにもまっすぐな人過ぎてあんな事が起きたのかと思った。永田さん自身も、仲間を死に至らしめた当時の融通の無さや偏狭さを冷静に観察していて、そこがすごいなと思った。
純粋というのは、逆に透明すぎて息苦しい。
この本を読んで、今まで彼女に抱いていたイメージががらっと変わった。人は時間が経てば変わっていく、いつまでも同じ人間のままではない。とてもいろいろな意味ですごい人である。本当に人間はいろいろな人生を過ごすのだ。
あまり彼女の事が気になって、ネットで検索したら、鬼女のような存在として扱われていた。別に永田さんの肩を持つわけではないけれど、もう少し多面的に捉えてほしいと思う。あんな風に彼女の事を書かないで欲しいなと思った。
私自身も、長年抱いていたイメージが変わった。同時に、ものごとや人を簡単に決め付けたり思い込んだりしないほうがいいのだと思った。現在は病気の進行が進んで(もうちゃんと話ができないくらい)いるらしいけど、とても気になってしかたない人である。
なかでも永田洋子(ひろこ)の存在が気になる。なんだかんだと『光の雨』という連合赤軍の映画を読んだり、永田洋子と瀬戸内寂静の書簡集を学生の頃読んだりしていた。
はじめて永田洋子の存在を知ったのは、小2の時に新聞で彼女に死刑判決がでた紙面を見た時。私と同じ「ヨウコ」という名前の女性が死刑、強烈だった(最近になって、彼女の名は「洋子」と書いて「ひろこ」と書くと知った。)。
不思議に思って母に「この洋子さんて人は何で死刑なの」と訊くと、
「こんな悪い人に、さんづけするんじゃありません!!」と叱られた。ものすごく悪い人なんだというイメージが残った。
学生の頃、瀬戸内寂静との書簡集をなぜか読んだ。なぜか一所懸命面白く読んだ。『光の雨』や『あさま山荘への道程』では、融通の利かない鬼女の如き彼女が描かれ、書簡集の穏やかな彼女との違和感が残った。
それで『続十六の墓標』という、刑に服役中に書かれた彼女の著作を読む。
思想に関する記述が長く、ここは私にはよくわからない。
だけど、服役中も勉強する真剣な姿勢、あまりにもまっすぐな人過ぎてあんな事が起きたのかと思った。永田さん自身も、仲間を死に至らしめた当時の融通の無さや偏狭さを冷静に観察していて、そこがすごいなと思った。
純粋というのは、逆に透明すぎて息苦しい。
この本を読んで、今まで彼女に抱いていたイメージががらっと変わった。人は時間が経てば変わっていく、いつまでも同じ人間のままではない。とてもいろいろな意味ですごい人である。本当に人間はいろいろな人生を過ごすのだ。
あまり彼女の事が気になって、ネットで検索したら、鬼女のような存在として扱われていた。別に永田さんの肩を持つわけではないけれど、もう少し多面的に捉えてほしいと思う。あんな風に彼女の事を書かないで欲しいなと思った。
私自身も、長年抱いていたイメージが変わった。同時に、ものごとや人を簡単に決め付けたり思い込んだりしないほうがいいのだと思った。現在は病気の進行が進んで(もうちゃんと話ができないくらい)いるらしいけど、とても気になってしかたない人である。
2010年2月13日土曜日
医学と芸術展
医学と芸術展を森美術館に観に行ってきました。
森美術館は22時迄営業していたり、面白い展示をしたり、無国籍であったりの長所と、ちと理解しかねる点と両方あるのですが、結局よく行く美術館の一つです。要はうまいことやっている美術館なんだと思う。
医学なので、人間の死生観に関するものあり、人体のつくりに関するものあり。大好きなテーマなのでいろいろ眺める。
先日オヤジ雑誌で見た松井冬子さん(すごい美女)の絵もありました。なんと私と同い年!華やかな存在ですね。
私が気になったのは、大きな水墨画のような作品。実は、グレーの紙やすりを貼ったボードに頭蓋骨一個を全てすりつぶされるまでこすったもの。
はじめは、白っぽい色を塗り重ねた、なんだか存在感のある作品だなと思ってましたが、人骨 が材料、やはりどきっとします。
人は死ねば、体は灰になるという事を感じます。こういう作品にはうんと弱い私。
メメントモリ、死をおもえ。
昔は死ばっかり思っていましたが、最近は死と生と両立して思うようになりました。生についてうんと思っている中で、死も同等に感じる事がいいのかな。
歳を重ねると人間は、ずぶとくたくましくなります。いろいろ感じさせてくれたいい展示でした。
森美術館は22時迄営業していたり、面白い展示をしたり、無国籍であったりの長所と、ちと理解しかねる点と両方あるのですが、結局よく行く美術館の一つです。要はうまいことやっている美術館なんだと思う。
医学なので、人間の死生観に関するものあり、人体のつくりに関するものあり。大好きなテーマなのでいろいろ眺める。
先日オヤジ雑誌で見た松井冬子さん(すごい美女)の絵もありました。なんと私と同い年!華やかな存在ですね。
私が気になったのは、大きな水墨画のような作品。実は、グレーの紙やすりを貼ったボードに頭蓋骨一個を全てすりつぶされるまでこすったもの。
はじめは、白っぽい色を塗り重ねた、なんだか存在感のある作品だなと思ってましたが、人骨 が材料、やはりどきっとします。
人は死ねば、体は灰になるという事を感じます。こういう作品にはうんと弱い私。
メメントモリ、死をおもえ。
昔は死ばっかり思っていましたが、最近は死と生と両立して思うようになりました。生についてうんと思っている中で、死も同等に感じる事がいいのかな。
歳を重ねると人間は、ずぶとくたくましくなります。いろいろ感じさせてくれたいい展示でした。
2010年2月9日火曜日
いい文章
最近、南博さんというジャズピアニストの方の本を読んでみました。
きっかけは、en-taxi という雑誌で、アイスランドへ、遠征ツアーに行った時の文章を読んで。
アイスランドの描写が、色彩感あふれていた。実際に色彩の描写が多いわけじゃないんだけど…。なんというか色彩的。en-taxiで連載しているのは、南さんが留学から帰ってきて、日本でどんどん力をつけている頃のもの。その以前の彼の人生も気になり、留学前に銀座バーでピアノ弾いていた頃の「黒鍵と白鍵の間に」という本も読んでみた。
私はアイスランドにツアーしている頃を書いた、最近の文章の方がより好みでしたが、「黒鍵と白鍵の間に」いい文章でした。1980年代後半の雰囲気もよくでていて。
それから南さんの書き方は、「脳がスパークする」とか「脳髄が」とか、いつも脳につながっている言葉が多い。なんだか私にはしっくりきたんですね。笑えないくらい切羽詰った事件を笑ってしまうように書いているのもよい。
当たり前の話しだけど、音楽も文章も揃っていいものができる人もいるんだなと実感。
色彩感あふれる文章、私も書いてみたいと思いました。
きっかけは、en-taxi という雑誌で、アイスランドへ、遠征ツアーに行った時の文章を読んで。
アイスランドの描写が、色彩感あふれていた。実際に色彩の描写が多いわけじゃないんだけど…。なんというか色彩的。en-taxiで連載しているのは、南さんが留学から帰ってきて、日本でどんどん力をつけている頃のもの。その以前の彼の人生も気になり、留学前に銀座バーでピアノ弾いていた頃の「黒鍵と白鍵の間に」という本も読んでみた。
私はアイスランドにツアーしている頃を書いた、最近の文章の方がより好みでしたが、「黒鍵と白鍵の間に」いい文章でした。1980年代後半の雰囲気もよくでていて。
それから南さんの書き方は、「脳がスパークする」とか「脳髄が」とか、いつも脳につながっている言葉が多い。なんだか私にはしっくりきたんですね。笑えないくらい切羽詰った事件を笑ってしまうように書いているのもよい。
当たり前の話しだけど、音楽も文章も揃っていいものができる人もいるんだなと実感。
色彩感あふれる文章、私も書いてみたいと思いました。
2010年2月7日日曜日
2010年2月4日木曜日
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