2010年9月7日火曜日

膨大な時間

西大寺に大事な曼荼羅やら御正体を入れる厨子がある。
大事なもんだから、きれいな裂が着いている。

羯磨文様錦戸帳という名前で赤地のと白地のとがある。
博物館でみたこともあるし、しょっちゅうこれに関する説明をする。
最初から好きなものではないが、だんだん好きになってしまった。

この裂は織物なんだが、現代の技術では復元不可能(10年前の情報ですが)。蓮の華と法具を織り出している
。裂に付属している飾りも、ものすごい製作時間と技術がかかっている。

これの色合いは、ちょっと今の時代では考えられない色合い。どんくさい色合いなんである。

個人的に好みか?と訊かれるとそうでもない。
神様をおまつりするのに、こんなに華美なものは、本意から逸れている、と私は考える方である。

だけど、だんだんこいつが好きになってしまった。

大概復元不可能なものというのは、別に未知の不思議な力を使ってなんかいない。
ものすごい膨大な時間と、手間と犠牲でなりたっている。
その概念が現代にはないから、復元は不可能だと、私は思っている。
別に不思議な事をしているのではないのである。

(もちろん私は叶うべくもないけれど、)
でも私も謙虚な心で、膨大な時間や手間をかければ、何かひとつくらいできるのだ、という気持ちを与えてくれる。
製作者個人の存在 や、出資者の存在、そんなものは千年の間に消失し、この戸張だけがある。
彼らは、小さき花の様に、もうどこかへ行ってしまった。

こういう膨大な気分を持ってみたい。
そんな風に感じたらこの戸帳が好きになった。

日本の仏像や美術を毎日観なくてはならず、
10年くらい前には、私は若すぎて、吐くくらい嫌になった事があった。
割に信心深い方ではある自分が吐くなんてびっくりした。若すぎたんだと思う。

別に今も畏敬の念を、人間の製作したものには抱かないけれど、
それができるまでを思うと、かなりぐっと好きになる。

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